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考察No.79



福島市松川町における主婦殺人事件

  • この事件も舞ちゃん事件との関係性はないが、山岸亜世美さん事件と同様に同じ福島県中通り地方の未解決事件ということで紹介することにします。




1981年5月21日午後2時ころ、福島県福島市松川町の住宅でこの家に住む主婦の斎藤悟子さん(35)が、顔を血だらけにして死んでい
るのを幼稚園から帰宅した長女(5)が見つけ、近くで農作業をしていた男性を通じ警察に通報した。

【現場検証】
悟子さんは東の玄関を入ってすぐ左の南に面した居間で鈍器のようなもので頭や顔など数ヶ所を滅多打ちにされ、仰向けになって死亡していた。
着ていた7分袖のブラウスも血に染まり、遺体近くの絨毯は血の海で、天井にも血が飛び散っているなど犯行の残忍さをみせていた。
遺体の近くにあった壊れたラジカセから悟子さんの血痕と頭髪が検出された。
犯人が室内を歩いた際に出来た悟子さんの血の着いた足跡がいくつか見つかった。
悟子さんが着ていた着衣は乱れておらず、下着などもきちんとしており、遺体に乱暴された跡はなかった。
居間はあまり荒らされておらず物色された形跡はなく、夫からの事情聴取で他の部屋から現金や貴金属などの被害がないこともわかった。
居間の茶ダンスの引き出しが少し開いていたが、中身は荒らされた様子はなかった。
居間の中央に置かれたはずの電気コタツが多少斜めにずれ、コタツの上には悟子さんのものと思われるセブンスターと百円ライター、白い瀬戸物の灰皿があったが、散らばったり壊れてはいなかった。
居間に内職に使用する衣類や道具類がそのままに置かれていた。
頭や顔などを執拗に殴られている割に特段争った形跡があまり見られなかったが、コタツの近くにバラバラになったコーヒーカップが落ちていた。破片を復元した結果、事件当日朝に夫と一緒に飲んだ悟子さんのコーヒーカップとわかった。夫が飲んだコーヒーカップは台所で見つかっており、壊れていなかった。
悟子さんのコーヒーカップがバラバラになっていることについては犯人が投げつけたのか、悟子さんと犯人がもみ合って壊れたかは不明。
台所にあった2枚の布巾からO型の血液と、微量ではあるがA型の血液が検出された。悟子さんの血液型はO型、夫はAB型、長男はA型、長女はB型。現場の状況から、悟子さんと犯人の以外の者の血痕が残っていることは考えられず、犯人は悟子さんをラジカセで殴りつけて争っているうちに、抵抗されるなどしてなんらかの傷を負い出血、布巾に付着した可能性が高い。
犯人が台所の水道で手を洗った形跡があり、台所からタオルがなくなっていることがわかった。犯人が返り血をふくために持っていったものとみられる。
朝食に使った食器類が水につけたままになっていた。
庭に洗濯物や布団が干してあった。
敷地内からタイヤ跡5個、足跡7個、それに家の中から指紋が数十個検出された。この中には家族以外のものも含まれていた。

【解剖結果】
①死因は外傷性クモ膜下出血を伴う多数の損傷による失血死
②傷は後頭部に十数ヶ所、頭頂部に四ヶ所、左顔面に十ヶ所程度の損傷がみられ、右手甲には皮下出血。特に左顔面は頬、鼻、顎の骨が骨折したうえ歯もかなり折れていた。さらに悟子さんの左肋骨一本が折れていた。
③頬骨の付近にはラジカセのスピーカー部分の溝の跡がハッキリと残っていた。
④胃の内容物はなし(悟子さんはいつも朝食をとっていない)
⑤死亡推定時間は21日正午前後

【凶器】
警察内では当初、ラジカセだけではこれだけの損傷を負わせることは無理なのではとの見方もあったが、ラジカセ(東芝製RT-2130型)は重量が2.8キロあるうえ、幅29.5センチ、高さ19.8センチ、奥行き8.3センチでかなり頑丈な物。
現場に残されたラジカセには悟子さんの血痕や頭髪がかなり付着していたほか、取っ手の留め金の部分やダイヤルの部分が犯行に使った時の衝撃でかなり壊れていた。
電機メーカーによると、不良品のラジカセなどを廃棄処分にするためバットで叩いて壊すことがあるが、なかなか壊れないという。このため警察は凶器はラジカセと断定した。
悟子さんの左顔面の傷は犯人がラジカセの取っ手部分を右手で持ち、右から左に殴りつけたとみられる。
頭部の傷についてはラジカセを両手で持って殴った可能性が強い。
左肋骨の骨折は犯人が倒れた悟子さんを足で踏みつけたとみられる。
rt-1320

【動機】
①悟子さんが着ていた着衣に乱れはなく、遺体に乱暴された跡はなかった。
②家の中が物色された形跡もなく、現金などの被害がなかった。
③頭や顔を執拗に何度も殴りつけられていた。

犯人は凶器を用意してきたわけではなく現場にあったラジカセを使っていることから、初めから殺意を持って悟子さん方に来たのではなく悟子さんとの間でなんらかの言い争いがあり、とっさにラジカセを持って犯行に及んだともみられる。
こうしたことから物盗りや痴情の犯行という線は弱くなり、「怨恨による顔見知りの犯行」あるいは「顔見知りによる偶発的な犯行」という線が浮かんだ。警察は交友関係を慎重に捜査したが、悟子さんが恨みを買うようなトラブルは判明しなかった。
行きずりの者の場当たり的な犯行も否定できないが、それならば犯行動機や悟子さんの殺され方の説明がつかない。

【足取り】
悟子さんの行動は、21日午前8時5分ごろ夫の出勤を見送った後、長女を幼稚園に送り出すためバス停に送っていった。そして帰宅したのが午前8時15分から8時半ごろだった。
その後、洗濯などを済ませてから、午前11時すぎに外出した可能性がある。そして帰宅後、ボタン付けの内職をしていた正午前後に何者かによって殺害されたとみられる。

【目撃証言】
午前11時半ごろ、悟子さん宅から東に約500メートルの旧4号国道の商店街で、主婦A子さんが自転車に乗る悟子さんらしい女性を目撃していた。A子さんは自宅2階からチラッと見ただけだったが、「悟子さんは買い物にでも行く途中のようだった。ベージュ色の服を着ていた」と証言した。
A子さんの子供は悟子さんの長男(7)と同学年で悟子さんをよく知っている。
悟子さんが遺体で発見されたときは緑色のブラウスに、空色のスカート姿。悟子さんが外出した際、着ていたと見られるベージュのセーターが居間入り口のドア付近に脱ぎ捨てられており、A子さんの目撃証言は信憑性が高いと判断された。
しかしA子さんが目撃して以降、付近で悟子さんを見たり、会ったという情報は得られず、自宅に買い物をしてきたような品物も発見されなかった。
悟子さんは几帳面な性格で毎日家計簿をつけていたものの家計簿は19日でストップしている。財布にはいつも利用するスーパーで買い物した19日のレシートが入っており、20日以降のはなかった。
悟子さんの性格から買い物ならばその日のレシートが財布にあるはずで、悟子さんは商店に買い物に行ったが目的の物がなかったのでカラ戻りしたとも考えられる。しかし、「買い物先で悟子さんを見かけたのはいつもはほとんどが夕方だった」という近所の主婦の証言も多く、しかも悟子さんは洗濯、布団干しを終えていたにもかかわらず、朝食の食器類は水に入れたままになっていたことから、悟子さんはむしろ別の用件で急用が出来て外出した疑いが強い。しかも簡単な用事であれば電話で済むだけに警察では謎の外出が事件と関連ある可能性があるとみていた。
その後の捜査でこの主婦の近くの商店2店で「事件当日、悟子さんらしい女の人が店に来たが、何も買わないで帰った」との情報が寄せられた。両商店ともA子さん宅から松川町の方向に向かって近い距離にあるうえ、時間も午前11時40分ころとA子さんが目撃した時間とほぼ一致している。ただ、両店とも「悟子さんのようだった・・・」というだけでA子さんのように服装まではハッキリ覚えていない。

【情報提供】
一般市民から情報も寄せられ、事件当日の昼前、悟子さん宅の西約300メートルに住む主婦B子さんから、黒っぽい自転車に乗った不審な男を見たとの情報があった。B子さんの話ではこの男は浅黒い面長な30歳前後。グレーの上下作業着を着ており、同地区では見なれない男で、付近をキョロキョロしながら悟子さん宅の方に向かっていたという。
また、犯行時間とみられる正午前後を中心に約70人の人が車やバイク、徒歩、自転車で悟子さん宅南の市道を通っていたことが判明。これらの中には現場付近の桑畑などで農作業していた近所の十数人も含まれる。いずれも悟子さんが長女を通園バスに見送りに行った21日午前8時半から、110番通報があった午後2時29分ごろまでにこの市道を通行しており、警察は大半の裏付けをとったが5、6人については確認がとれなかった。
このうち現場から西約1キロに住むC子さんが午後0時15分ごろ悟子さんの自宅前を自転車で通過、西へ約100メートル進んだところでふろしき包みを手にした50歳くらいの男の人を追い越し、さらに午後0時半ごろC子さんの自宅前をこの男の人が通過しているのを見たと証言。警察は悟子さんの死亡推定時間に近いことからこれを重視、捜査した結果、この男の人は悟子さん宅から西約6キロに住むDさんとわかり、事情聴取したところ、C子さんに追い越された直後、北側の道路を猛スピードで走る赤い車を見たことがわかった。このため警察はこの情報を基に赤い車も追っていたが、特定に至らなかった。

【女性客】
事件前日の20日に内職用の婦人服を届けるために悟子さん宅に立ち寄った会社員Eさんから「悟子さんのところに女の客が来ていた」という証言が得られた。
Eさんによると午後4時ごろ、悟子さん宅に立ち寄り玄関から悟子さんがいつもいる居間をのぞくとすらりとした女の客が来ていた。悟子さんを呼ぶと居間ではなく玄関の正面の廊下からムッとした表情で悟子さんが現れ、Eさんは「二人の間には気まずい空気が流れているな」と直感したという。年齢は悟子さんと同年配かやや上、着衣は覚えていないという。
悟子さんの夫はEさんが見たという女性について心当たりがなく、その日風疹で幼稚園を休み一日家にいた長女は覚えていなかった。ただ「19日ごろ知らないおばちゃんが来た」と警察に答えている。
警察もこれらの証言を重視、その女性の身元の確認、事件との関連について調べたが、犯人や犯行動機に結びつく手がかりはなく、結局この女性が誰なのか判明しなかった。

【犯人像】
犯人は21日正午前後にカギのかかっていない玄関から侵入(あるいは招かれ)、何らかの理由で居間にいた悟子さんに襲いかかり、近くにあったラジカセで頭や顔を何度も殴りつけ、再び玄関から逃走したとみられる。
悟子さんの顔のうち左顔面だけが原型をとどめないほど乱打されており、頭や顔に二十数ヶ所の傷があるほか、左肋骨も一本折れて足で踏みつけたフシがあるなどの残忍な手口から警察は犯人は右利きのかなり腕力のある男で、悟子さんに恨みを持った者の犯行との見方を強めた。
顔面をメチャクチャに乱打したことから女性の犯行との見方も出来るが、悟子さんに抵抗する隙を与えずラジカセで乱打している状況などから腕力のある右利きの男の怨恨による犯行との見方が強い。
警察の捜査で、犯人は悟子さんを殺害した後、現場(居間)隣の六畳間や奥の四畳半など室内を歩き回り、台所で手を洗っていることが判明している。しかも、居間のサイドボード、六畳間、四畳半のタンスの引き出し合わせて三ヶ所がごくわずかだが開いていた。室内に悟子さんの血の着いた犯人の足跡があったのとルミノール検査で各部屋の畳やタンスなどからハッキリと反応が出た。
また、台所の布巾から悟子さんのO型の血痕に混じって犯人のA型の血痕がわずかだが検出された。犯人は悟子さんをラジカセで殴りつけた際に手に傷を負ったものとみられる。
当初、タンスにあった現金十数万円が無事だったことやタンスなどが開いているだけで物色の跡がないことから、犯人の偽装工作との見方が強かった。しかし、悟子さんの殺害される理由が見当たらないため、警察では物盗りの可能性も十分あると、怨恨、物盗り両面から捜査していた。ただ、物盗りとすれば自宅前に残された急発進のタイヤの痕跡(輪間距離から1600cc以上の車)の説明が難しくなる。
車を自宅前に乗りつけて侵入する物盗りの手口はあまりなく、不自然だし、洗濯物や布団の干してある家に入るだろうか?
さらに、犯人の心理とすれば殺害後、一刻も早く部屋から飛び出したいはずなのに、室内を歩いたり台所で手を洗ったり信じられないほどの、余裕をみせているのも犯人像を絞るうえで大きな謎となっていた。

【悟子さん】
二本松市出身で高校卒業後、福島市松川町の会社に入社。悟子さんが入社して2年後に夫が入社、事件の10年ほど前に恋愛結婚した。
育児が忙しくなった1974年に退社。第1子を死産させた後、長男と長女をもうけただけに、二人に対しては対しては大変なかわいがりようで、24日に開かれる小学校の運動会での長男の活躍を楽しみにしていたという。
去る2月に夫の勤める会社が倒産、夫は職探しをしながら債務整理のため同社に通勤。4月からは悟子さんがボタン付けの内職で家計を助けており、近所でも「しっかり者」で通っていた。

【愛娘】
捜査員も目をそむけるような残忍な悟子さん殺しの第一発見者は5歳の長女だった。5月21日午後2時前、通園している幼稚園から帰宅。変わり果てた母親の姿を発見した。10分くらいその場にいたらしいが、幼な心にも「お巡りさんに知らせなきゃ」の気持ちが働いたのだろう、けなげにも子供用の自転車を持ち出し、近くで農作業をしていた男性に「おじちゃん、おかあさんか死んでる!」と叫んだという。びっくりした男性はすぐに現場に駆け込んだが、居間は血の海で悟子さんもすでに絶命していた。
長女は21日夜は自宅近くの父親の実家に身を寄せた。昼の疲れからか午後5時前にはぐっすり寝込んでしまったという。

【事件現場】
福島市中心部から約15キロ離れた安達町と隣接する農村地帯。4号国道から西へ約1キロ入ったところで周囲は桑畑に囲まれている。
家は夫が悟子さんとの結婚の際に建てた木造平屋建て。
隣家とは約100メートル離れており家の前を東西に市道が走っているが、人通りも少ない。

【難事件の様相、そして…】
一連の捜査で悟子さんが恨まれる理由などがいっこうに見当たらず犯行動機は不明のまま。警察の幹部の中には物盗りを主張する人もおり、難事件の様相をみせていた。
証明資料は数多くあるものの、肝心の容疑者を絞るまでには至らず捜査は難航を極め、事件から5年後の1986年5月に捜査本部は解散。その後も専従捜査員が事件解決に全力を尽くしていた。
そして、未解決のまま丸15年が過ぎ、1996年5月21日午前0時で時効が成立した。


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