FC2ブログ

真夜中に自宅寝室から消えた少女

船引町における女子小学生行方不明事案(石井舞ちゃん失踪事件)
(平成3年)1991年8月24日から25日未明になにが起こったのか!?
素人なりに様々な角度から推測・推察していきたいと思います。
拙い文章ですが、内容を足したり、書き換えたりしながら更新していきます。
どんな些細なことでもいいので情報をください。
間違っている箇所、反論等があれば何なりとご指摘ください。
事件発生
1991年7月24日夜から25日朝にかけて、福島県田村郡船引町で建設業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が、自宅から就寝中に行方不明となる。

状況
船引小学校の夏休み4日目
1991年7月24日(水) 五黄 赤口
くもり時々晴れ 最高気温29.2℃ 最低気温20.6℃

父親・石井賢一さん(37)建設会社専務
母親・ヨシ子さん(27)
長女・舞ちゃん(7)
長男・(6)小学1年
次男・(2)
祖父・Nさん(73)
祖母・Hさん(69)
母ヨシ子さんの友人の娘(小学4年、同2年)前日から泊りに来ていた
父の姪A(17)事件当日の昼過ぎに旅行に出かけ、その後は石井宅に居なかった
従業員K(22)姪の彼氏 事件の半年前から住み込みで働いていた


【所在不明時の特徴など】

石井舞(いしいまい) 当時7歳
船引小学校2年1組 1983/8/6生
●身長 120センチメートル位
●体格 中肉、21キログラム位
●髪型 ショートカット
●額が広く、鼻の右脇に小さなホクロがある
●笑うとエクボができる
●服装:横縞の婦人用Tシャツ 白色パンツ
maichan01.jpg


石井家2


船引地図


maichanwosagasitea.jpg


ドキュメント
1981年4月29日
⇒久美ちゃん殺害遺棄事件[考察No.27][考察No.28]

1982年夏
⇒賢一さん・ヨシ子さん結婚

1983年8月6日
⇒舞ちゃん誕生

1984年秋
⇒長男誕生

1985年
⇒石井宅2階を増築する[考察No.3]
●内部は複雑で初めての人は分かりにくい構造だった

1988~1989年頃
⇒姪を石井家で預かる[考察No.59]

1989年春
⇒次男誕生

1989年4月26日
⇒船引で母子心中事件[考察No.61]

1989年8月6日
⇒台風13号により移川が氾濫

1990年3月
⇒舞ちゃんわかくさ幼稚園卒園

1990年4月
⇒舞ちゃん船引小学校入学

1990年7月
⇒舞ちゃん地元広報誌の表紙を飾る[考察No.70]

1991年1月ごろ
⇒姪の恋人Kが住み込みで働きはじめる

1991年4月
⇒石井建設㈱移川災害復旧工事入札

1991年6月
⇒船引町北移毒物混入事件[考察No.58]

1991年
⇒舞ちゃんショートカットにする[考察No.26][考察No.30]

1991年7月23日
⇒ヨシ子さんが友人の娘2人を自宅に連れて来る

⇒Kが賢一さんに翌日仕事に出るように頼まれる[考察No.20][考察No.21]

1991年7月24日
⇒賢一さん、Kが仕事へ

⇒Kがシンナー吸引[考察No.16]

・昼間
⇒舞ちゃんプール遊び

⇒姪が旅行(もしくは郡山の実家)に出かける

・夕方
⇒Kの部屋でテレビゲーム[考察No.35]

・夜
⇒舞ちゃんたちが夕食をとる

・20:00
⇒祖父母がテレビを観る(仮定)[考察No.24][考察No.71]

・20:05
⇒郡山駅行の下り最終電車が船引駅を通過[考察No.12]

・20:50
⇒賢一さんが長男次男と2階寝室で眠りにつく
●賢一さんは晩酌をすませると早々に寝るのが習慣だった

・21:00
⇒Kの部屋の明かりが消えるのを祖父母が確認する

・21:20
⇒1階に住む祖父母がタクシーでカラオケスナックへ

・21:30
⇒舞ちゃんと女の子2人が就寝
●子供部屋のセミダブルベッドで3人川の字で寝る(舞ちゃんは3人の真ん中に寝た)

・22:00過ぎ
⇒Kが友人と遊びに行くため家を出る。着替えするために家に一旦戻り、またすぐに外出した(1階のカギをかけず)

・22:30
⇒ヨシ子さんが2階玄関の鍵をかけて、舞ちゃん達の部屋の机の上の蛍光灯を消し、タオルケットをかけ直す。その後、2階の洗面所を使用中、「バタン」と1階玄関ドアの音がしたので、窓から外を見るとKが南の方に歩いていく姿を目撃
●ヨシ子さんはコンビニにでも行ったのかなと特に気にしなかった[考察No.5][考察No.45]

⇒ヨシ子さんが1階浴室で入浴

⇒Kが友人に電話するため家の南側にある公衆電話へ。そして、友人に会うため自分の車で出かけようとしたが、バッテリーがあがってエンジンがかからず、仕方なく辺りをぶらつく。その後、駅の通りの自動販売機で缶ジュースを買って飲み、もう一度、車のところに戻りエンジンをかけようとしたが、やはりかからず、船引駅へ向かう
●賢一さんによれば、Kの車のバッテリーは以前からあがっていて、エンジンがかからなくなっており、もっぱら会社の車を使用していたという

・22:45
⇒入浴中のヨシ子さんが1階玄関ドアの「バタン」という音と、誰かが階段を上る音(繊維が摩擦するような音)を聞く[考察No.6]
●カラオケに行っていることを知らなかったヨシ子さんは、祖父母だと思い気にかけなかった

・23:00前
⇒石井宅のすぐ近くの公衆電話ボックスの前(石井宅の玄関がよく見える位置)で白い不審車両が近所の住民に目撃される。エンジンがかけられたままで運転者の姿はなく、故障車のようにボンネットが開かれていた[考察No.8]

・23:00頃
⇒Kは郡山へ行こうとしたが、最終電車(船引駅の最終は20:05であった)が出てしまったため、タクシーを拾い郡山へ向かう
●船引駅から郡山駅まで、主に国道288号線を通り、距離約22km、タクシーで約35分、料金6000~7000円[考察No.9]

・23:10
⇒ヨシ子さんは入浴後、2階へ上がり、賢一さん達の寝ている部屋に行き、横になった
●ヨシ子さんは1時間ほど寝付かれずにいた[考察No.7]

・23:40~
⇒Kは郡山で友人を待つが何時間待っても来なかったため、仕方なくデパート前のベンチで一夜を過ごす
●Kによれば、親友が精神に異常をきたした、と電話連絡があり、そのことを詳しく聞くために須賀川市の別の友人と会う約束をしていたが、いくら待ってもその友人は現れなかった。結局会えず、後で聞くと友人は寝てしまっていたという[考察No.10]

⇒Kがベンチで一夜を過ごしているの時に客引きと言葉を交わす[考察No.13]

・2:00
⇒祖父母がカラオケスナックから帰宅し、1階玄関ドアの鍵が開いていたので施錠する

⇒1階玄関ドアの鍵がかかっておらず、Kも不在だったのを心配した祖母が2階で寝ている賢一さんに告げるが、賢一さんに「明日、聞くから心配するな」と言われ、祖母は自室に戻り眠りについた

・4:20
⇒賢一さんが起床後、事務所に行こうとしたところ、鍵がかかっていたはずの2階玄関ドアが少し開いていて朝日がこぼれて見え、不思議に思う

・5:20
⇒一度は気に掛けなかった賢一さんだが、なにか胸騒ぎを感じ居間に戻ると、起き出してきた2人の女の子に「舞ちゃんがいない」と告げられる
●賢一さんは、かくれんぼでもしているのかと思ったといい、ヨシ子さんはKの仕業だと思ったという

⇒みんなで舞ちゃんを捜しまわる

・5:48
⇒Kが郡山駅から始発電車に乗る

・6:00
⇒家の中や近所を夢中で捜しまわったが見つからず、一家は騒ぎとなり警察に通報

・6:23
⇒Kが船引駅に到着

・6:30
⇒帰宅したKが仕事まで一寝入りする

7月25日
⇒三春警察署が捜索を開始[考察No.51]

⇒Kはこの日のうちに警察に連行され、事件当日の行動について事情聴取を受ける
●警察に、舞ちゃんについて聴かれたKは、「何も知らない」と答えている

7月25日昼過ぎ
⇒応援を受けた福島県警の鑑識係と特殊班が現場検証を開始
●現場検証の結果、石井家に住む人物以外の足跡や指紋は発見できず、外部から侵入したような形跡もなし[考察No.2]
●警察犬を捜査に導入したところ、1階玄関先で立ち止まる[考察No.4]
●当夜、周辺に駐停車してあった車両について一台一台捜査が行われたが、白い不審車両だけ調べがつかず
●7月24日22:30頃、船引駅周辺で不審な人物を見かけたという情報なし
●警察は身内の犯行も視野にいれ、祖父母、両親にも嫌疑の目を向ける

7月26日
⇒県警本部と三春署は2日間にわたり署員を総動員して内偵捜索をしたが有力な手掛かりがつかめず、舞ちゃんの顔写真公開に踏み切る

⇒行方不明の知らせを受け船引小学校で緊急職員会議。PTA役員も出席し、今後の対応などについて話し合いが行われる

7月27日
⇒午前9時から異例の大捜索。自宅周辺からさらに捜索の範囲を広げ、大滝根川下流、片曽根山周辺など自宅から3、4キロ四方にわたって捜索活動が行われたが、手掛りつかめず
●船引小の教職員とPTA約80人は朝から捜索に加る
●この日町中央公民館で開かれる予定だった町PTA研究大会が中止となる。また、舞ちゃんが卒園した若草幼稚園でも夏祭り花火大会の行事が行われる予定であったが取りやめとなる[考察No.40]

⇒県警本部刑事部長が現地を訪れ、捜索状況などを視察

7月28日
⇒依然行方知れず

7月29日
⇒依然行方知れず

7月30日
⇒三春署は、状況から石井家の内情に詳しい者が舞ちゃんを連れ出した疑いが強いとの見解を示す

⇒小学校のPTA関係者が情報提供を求めるビラを船引町内に張り、折り込み広告に入れるなどして町民の協力を呼び掛ける[考察No.54]

7月31日
⇒県警本部と三春署は「船引町における女子小学生行方不明事案対策本部」を設置。対策本部長が記者会見で「一日でも早く舞ちゃんを発見、保護したい。報道陣の協力をお願いしたい」と報道陣に協力要請
●行方不明事件で対策本部が設けられたのは福島県警史上初

8月2日
⇒依然手掛かりなし。捜査陣に焦りの色

8月6日
⇒舞ちゃん8回目の誕生日。ヨシ子さん、みんなからもらったプレゼントを舞ちゃんの机の上にそのままにして帰りを待つ

8月7日
⇒対策本部が発見依頼ポスター1万枚を作製

8月8日~
⇒2週間にわたる取り調べの結果、Kが解放される
●「23時すぎにKを郡山まで乗せた」とタクシー運転手が証言し、Kと言葉を交わしたのを覚えたていた客引きも見つかる[考察No.11][考察No.31]

●Kが警察から解放された後、姪とホテルでシンナーをしている時に「いま探しているところに舞ちゃんなんかいない」と発言。それが怖くなって姪はKと別れる

●Kが給料を受け取って実家に戻る[考察No.48]

8月22日
⇒県警機動隊の応援を得て、自宅北側の池にボートを出してダイバーが捜索に当たったが、有力な手掛かりは得られず[考察No.19][考察No.44]

事件発生1ヶ月
●事件発生から1ヶ月間で、捜索のため動員した人数は警察官、地元消防団、PTA関係者など合わせて延べ3900人。捜索箇所も舞ちゃんの自宅から半径6キロを重点に家屋、山林、池、沼、防火用水、マンホール、河川、トイレ、工事現場など6370箇所に及んだ。聞き込み捜査は一般住民470世帯、2500人、同業者などの関係者490人、通行車両250台、通行人50人に上った

●対策本部に届いた情報提供は12件と少なく、発見につながるものはなかった

⇒両親が舞ちゃんが失踪して一ヶ月の心境語る
賢一さん「警察にお任せしているが、情報が少なく焦りを感じる。何としても無事帰ってほしい」
「舞は事件に巻き込まれたと思う。普段は私と一緒の部屋で寝ており、当日と前日の二日間に限って友達と一緒に自分の部屋で寝た。しかも舞と私の部屋は並んでおり、家の内部に詳しい者でなければ簡単に連れ出せない・・・」

ヨシ子さん「早く無事で元気に帰って来てほしい。舞がいなくなってから時間が止まったようで、あっという間の一ヶ月だった」
「夕食の時になると、舞がいないんだって思う。ただ舞からの連絡を待つだけです」[考察No.56]

事件発生2ヶ月
⇒舞ちゃんと一緒に寝ていた女の子たちが、Kとテレビゲームで遊んでいた時にKが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていたと証言。また、当日寝ていたときに優しい声で舞ちゃんを呼ぶ声が聞こえたとも証言[考察No.47]

12月24日
⇒舞ちゃんが通う船引小学校で二学期の終業式
●当時の校長は「進展がないまま二学期が過ぎてしまいました。舞ちゃんが無事に見つかることを祈るのみです」と全校生徒に伝える

●舞ちゃんのクラス担任が石井宅を訪れて、舞ちゃんの通信簿を石井夫妻に手渡す[考察No.55]

1992年
⇒なぜか廃業したはずの石井建設が1992年から相次いで公共工事を入札して仕事を請け負っている[考察No.50]
3月→道路工事
4月→農業用施設工事
7月→道路工事
7月→道路工事
8月→道路工事
8月→道路工事
8月→道路工事
9月→凍雪害防止工事
10月→道路工事

事件から半年
⇒ヨシ子さん舞ちゃん失踪から半年目を迎えた心情を綴る
「生活の中で、つい舞の名前を呼んでしまうことがある。しかしそこに娘の姿はなく、現実に引き戻されてしまう。我が子であるはずなのになぜ会えないのか。ただじっと待つしかないのだろうか」
「犯人は何の目的で舞を連れて行ったのか。私たちに対して何らかの行動を起こしてほしい。舞をかえしてくれるのであれば、誰も恨んだりしない」[考察No.49]

⇒事件から半年以上が経ち、賢一さんは会社をたたみ、ヨシ子さんとの別居を決意。疑いをかけていたKに四六時中付きまとって証拠をつかむ作戦を決行。一方ヨシ子さんは二人の子供を連れて姉の住む栃木県宇都宮市に生活の場を移す[考察No.66]

1992年2月
⇒賢一さんの友人らが中心となって「舞ちゃんを捜す会」結成[考察No.32]

1992年3月
⇒船引小学校で卒業式。舞ちゃん4月から3年生に進級[考察No.34]

1992年春
⇒神奈川県藤沢市に住む主婦から「テレビの公開捜査番組で見た舞ちゃんと母ヨシ子さんによく似た女の子を駅で見かけた」という情報が寄せられる
●駅ホームで泣いていて、不審に思った主婦が「どうしたの?切符は持ってるの?」と尋ねたところ、持っていた切符を見せたという。しかし、よく考えてみると、その日は平日で子供たちは学校に行っているはずの時間なのにと、後になって気になったというもの

1992年4月22日
⇒舞ちゃんを捜す会が三春署の対策本部に31667人の嘆願署名簿を提出、捜査の強化を訴える

1992年7月19日
⇒舞ちゃんを捜す会、各地でビラ配り
●約70人が参加し、数人ずつのグループに分かれ、県内外の駅前9ヶ所でビラ約二万枚やポスター約二百枚を配布して情報提供を呼び掛ける。ヨシ子さんはJR平駅(いわき駅)前に立ち、賢一さんは首都圏で愛娘の情報提供を訴える
両親は「舞は必ず生きていると信じている。とにかく一日でも早く帰って来てほしい」「生身の人間がいなくなったんです。助けて下さい」と悲痛な訴え[考察No.37]

事件から1年
⇒ヨシ子さんは「舞のことが警察や皆さんに忘れられるのが心配」とコメント

1992年12月
⇒道路の拡張工事に伴い自宅が取り壊される
●自宅跡にプレハブの仮事務所が建てられる

1992年12月
⇒茨城県牛久市と神奈川県横浜市の幼児不明事件の被害者らと「行方不明児父母の会」を結成し、ポスター配りなどの本格的な活動を開始[考察No.53]

1993年
⇒Kの監視から一年後、賢一さんは監視をやめ、妻子を呼び戻す

1993年6月27日
⇒船引老女偽装殺人事件発生[考察No.33]
●舞ちゃん事件捜査が事実上中断となる

1993年7月22日
⇒インタビューで
賢一さん「何でこんなに行方が分からないのかという気持ち。父親として何もしてやれない自分が腹立たしい。舞は誰かに連れ出されたとしか考えられない。無事に返してくれるのなら何でもする」と心情を語る

ヨシ子さん「毎日の食事は舞の分まで作っている。弟の買い物をすると、舞の分も一緒に買ってしまいます」と話す[考察No.41]

1994年
⇒TBS公開捜査番組『THE・プレゼンター 福留功男のテレビ公開捜査!』の生放送中、匿名を条件に女性の視聴者から電話があり、「福島県須賀川市のヨークベニマル(スーパーマーケット)で、知人男性が舞ちゃん似の女の子を連れていて、親のいない子だから代わりに育てていると言っていた」という情報提供があった。ところが、番組進行役のアナウンサーが知人男性についての情報を伺う際に、誤って情報提供者の本名(苗字)を口にしたことで、情報提供者の女性は激昂し、「申し訳ないですけど、もう一切何もお話しすることはできません」と、証言を拒絶した。アナウンサーはすぐに謝罪し、やり取りを続けたが、「名前を公表されたのでもう話せません」とし、電話を切られてしまった[考察No.15]

1994年10月
⇒日本テレビの特別番組『行方不明児を探せ!驚異の超能力者 ノリーン・レニアII』にて、海外から超能力捜査官を招き、舞ちゃんの発見に挑んだこともあった。それによると、「福島県須賀川市の山寺池公園付近まで舞ちゃんの反応が確認できた」という内容であった[考察No.14]

1995年7月
⇒賢一さん「娘はきっと生きていると信じています。家族みんなでできる限りのことを続けていきたい」とコメント

1996年7月
⇒事件発生から丸5年で、対策本部は延べ約1万7400人の捜査員を動員、延べ約4万人から聞き込み捜査を行った5年間で一般からの情報提供は130件あったが、解決に結びつくものはなく、賢一さんやヨシ子さんは定期的にビラ配りなどを続ける

1997年7月18日
⇒フジテレビ「金曜エンタテイメント」あの未解決事件を追え!超ミステリー事件簿~緊急!列島大捜査線~で、舞ちゃん失踪について取り上げられる[考察No.76]

2000年1月28日
⇒新潟少女監禁事件発覚
●1990年、誘拐された当時9歳の少女が約9年間にわたり監禁され、2000年1月28日に加害者宅で発見保護された

⇒この事件を契機に福島県警は舞ちゃんのポスターを新たに五千枚作り各地に掲示したほか、ホームページや広報誌でも概要を紹介し、広く情報を呼びかけた。また県警本部は、県内全27署の刑事課長らを集めた行方不明事件対策会議を開き、舞ちゃん行方不明事件について、「県民の関心も高まっている」として、あらためて全署で情報を収集することなどを指示した

2003年冬
⇒祖母ご逝去

その他
  • 舞ちゃんは事件前にショートカットにしたばかりだった
  • 舞ちゃんがパジャマ代わりに着ていたヨシ子さんのTシャツも着替えた様子はなく、玄関には舞ちゃんの靴が残っていた
  • 舞ちゃんは人一倍怖がりで、夜はひとりでトイレに行けず、必ず両親を起こしていた
  • 舞ちゃんは遊びに行く時に必ず行き先を紙に書いて行く、しっかりした子であった
  • 夕方の買い物を頼むと「暗いと危ないから」と断るほど慎重な子だった
  • 事件から数年後、自宅は区画整理事業で別の場所に建て替えられたが、子供部屋には舞ちゃんの帰りを待つ机が置かれている
  • 自宅の隣は磐越東線が走っているため、石井家の人々は騒音には慣れている
  • Kには補導歴がある


ヨシ子さんの見解
  • 「鑑識係りが来るまで、みんなであらゆる場所を夢中で捜しまわっていたので、床の足跡やドアノブ等の指紋が判明しにくくなっていたのでなないか」
  • 「入浴中に誰かが階段を上がっていく音は聞こえたのに、降りてくる音を聞いていない。したがって1階玄関から入った誰かが、まっすぐ舞ちゃんのところへ向かい、抱きかかえて2階玄関の鍵を開けて外へ行った、としか考えられない」
  • 「特にその日は、友人の子供たちが泊まっていたので、不用心なことがないようにと意識してかけたことを覚えている」
  • 事件から2ヶ月後、ヨシ子さんは当時泊りに来ていた女の子から、当日の夕方、テレビゲームをしていた時に、Kが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と誘っていたという証言を聞き出した。しかし、警察は「子供の証言だし、無理に引き出させたもの」として相手にされなかった。
  • ヨシ子さんは、事件後にKと別れた姪から「警察から解放されたKと2人でホテルでシンナーをやっている時にKが、いま探しているところに舞ちゃんなんかいない、と言った。それが怖くなって別れることにした」と聞いたという(これについてKは、事件後は姪とホテルに行ってないと否定している)。


賢一さんの見解
  • 「どう考えてもKしかいない」と名指し。もっとも賢一さんは、Kがひとりでやったわけではないと考えており「その日の行動からして、何らかの手引きをしてから事件の現場を離れた」と疑っている。
  • 賢一さんいわく、Kはその日、今までやったことのない事ばかりしているという。「ひとりで黙って夜中に出かけた」「郡山へ行った」「タクシーに乗った」
  • 賢一さんは、両親が離婚して荒れていた姪を、中学生の頃から石井家で預かり育ててきた。やがて姪は暴走族に出入りするようになり、そこでKと知り合い恋人の仲になった。そして、賢一さんは事件の半年前に姪からKを紹介され、Kを自分の建設会社に住み込みで働かせるようになった。
  • 事件当日、姪が出かけていた旅行には、Kも一緒に行く予定になっていたが、賢一さんは前日にKに仕事を言いつけ、旅行をキャンセルさせていた。そのことでKが賢一さんを恨んでいたとも考えられる。また、賢一さんはそれまでに何度かシンナーをやっていたKを叱りつけたこともあった。事件当日もKはシンナーをやっていたとも賢一さんは指摘している(これについてKは、当日シンナーをやっていたことを認めている)。
  • Kの疑惑が膨らむ中、警察は賢一さんに「必ずもう一度しょっ引くから」と言ったが、時間はどんどん過ぎていき、結局Kはその後給料を受け取りに来ただけで、実家に戻ってしまった。一方、事件の責任をめぐって夫婦の間がぎくしゃくし始めていた。事件から半年以上が経ち、賢一さんは舞ちゃんの捜索に集中するため、決意を固めた。自身の建設会社の従業員10人の再就職を決めると、会社をたたみ、妻子と別居した。
  • 証拠をつかもうと四六時中Kを監視し、Kの実家のまわりの電柱すべてに情報提供のビラを貼った。その近所に住んでいる同級生や知り合い、はたまた中学時代の彼女なども訪ね歩いた。車で寝泊りしながら、初めはKに見つからないように見張っていたが、やがて逆にプレッシャーを与えようと、ぴったりマークして付きまとった。その間Kは仕事をするわけでもなく、宛てもなく車でぶらついたり、昼夜逆転した生活を送っていたという。Kに直接声をかけ、問い詰めたこともあったが、答えは決まって「自分はやっていない」「無関係です」であった。そんな時、賢一さんは間違ったことをしているかもしれない、Kと決めてかかりとんでもない方向にきているかもしれない、と不安もよぎったが、第三者が侵入して娘を連れ出すことは考えられない、と思い直した。日々の全てを書き留めていた手帳は、12冊にも及んだという。しかし、具体的な手がかりはなにもつかめず、Kの顔を見るのも嫌になった賢一さんは監視をやめ、妻子を呼び戻した。
  • ちなみに、賢一さんは警察の捜査に期待をかける一方で、時間が過ぎていくことに耐え切れず、独自にビラを作り、福島はもちろん、栃木、埼玉、東京などで「舞ちゃんをさがしてください」というビラを配布した。公開捜査番組などにも積極的に出演していた賢一さんだったが、Kに疑いの目を向けていたためか、皮肉にもこの失踪事件について詳細にメディアで報じられたことが少なくなってしまった。


Kの見解
  • 「もともと自分はあの日、そこにいないはずだった。旅行に行くことになっていたが、賢一さんが前の夜になって、仕事してくれって言ってきた。だから計画的な犯行なんてできるわけがない。」
  • 「家の造りからして、自分が誰にも気づかれずにあの部屋に行けるはずがない。あの部屋に行くには、ギシギシと音が鳴る2階の居間を必ず通らなくてはいけない。」
  • 「会社の先輩とも話したが、外部の人間が居間を通って子供をさらうのは無理。」
  • 舞ちゃん一家が公開捜査番組に出演した際に、Kも一緒に出演することもあった。インタビューでKは「一家の中で自分だけ血の繋がりがないこともあり、舞ちゃん家族に疑われて辛い」と述べている。


心無い噂といたずら
  • 電話や訪問によるしつこい宗教の勧誘が後を絶たなかったという。
  • 無言電話や子供の声まねで「お母さ~ん・・・」というのもあった。
  • 「○○に舞ちゃんの遺体が埋まっている」という電話もあり、実際に賢一さんは示された場所を掘り起こしたこともあった。
  • ヨシ子さんは賢一さんと10歳年が離れていて、19歳で舞ちゃんを産んだ。舞ちゃんの実の母親でありながら、継母と根も葉もない噂をされた。[考察No.25]
  • 地元船引町では、母親や父親による犯行説、家業の建設業と反社会的勢力との関わりによるトラブル説など様々な憶測も呼んだという。


当時の参考になりそうな事柄
  • 1991年は、一般的に携帯電話なんて全然普及しておらず、連絡等容易ではなかった。人と待ち合わせる時は、事前にしっかり話を合わせておかないといけなかった。 友人や恋人への電話は相手の固定電話にかけるしかなかった。公衆電話がとても役立っていた。
  • 1991年の小名浜港は、ソ連向け中古車輸出の一大拠点に変わろうとしていた。当時の日本は、バブル経済を背景とした新車販売の増大が要因となり、下取り車の発生台数が増加していた。1991年の小名浜港はソ連から大量の材木や水産資源を輸入しており、その帰り荷として、ソ連貨物船の乗組員による日本の中古車購入がブームとなっていた。乗組員が現地に持ち帰る場合、5万円以下であれば手荷物扱いとなり、通関の必要がなく輸出に当たらないため、ソ連向け輸出についてはこの携帯輸出が非常に大きな部分を占めていた。ちなみに、日本国内を5~10年走った車でも、ソ連ではマイホーム並みの超高級品であった。
  • 1991年7月7日、船引町北移地区に住む男性宅が飲料水として引いている25メートル離れた井戸水が青色に変色する事件が発生。警察が鑑定した結果、パラコート系の除草剤が検出された。井戸は農道沿いにありコンクリート製で、円筒形でコンクリートの蓋がしてあった。蓋をずらしたような跡があったため、警察は悪質な毒物混入事件とみて、捜査を開始。
  • 1990年12月10日、矢吹町のA病院看護婦寮で看護婦のF・Hさん(22)が殺害された。死因はクロロホルムをかがされたことによる呼吸麻痺とみられている。わいせつ目的に侵入した変質者がFさんを気絶させようとしたが、量が多く死亡したとみられる。クロロホルムは一般市民が手に入れるのは難しいため、医療機関や薬品販売会社、研究機関、化学会社などから事情を聴くなどして捜査した。
  • 1987年から磐越自動車道いわきJCT~郡山JCT間の建設が開始され、1995年に常磐自動車道と接続された。


Coming Soon

  • 事件当日の賢一さん、祖父母、2人の女の子について

  • 一人で旅行へ出かけていた姪について

  • 鍵をかけずに外出したKの責任について

  • その他etc

スポンサーサイト



コメント

No title

初めまして。
私もこの事件には注目してきました。
恥ずかしながら、先日家族のインタビュー動画を初めて目にした次第です。
我が子を失いながら、ときには微笑み、冷静に、事件当夜のことを事細かく話をする母親の姿、異常ではないでしょうか。
ましてや第三者の犯行であるなら、危険を冒してまで自宅に侵入する理由が見当たりません。それは従業員Kについても同じ事が言えます。普段は両親と同じ部屋で眠る舞ちゃんを、友人と一緒に寝たこの日に誘拐をすれば誰より怪しまれるのは当然であるわけですから。
東部台の区画整理についても不可解です。
我が子の帰りを待つ親なら、家を解体したくないはず。区画整理に参加しない術はあったわけで、行政や組合も理由が理由ですから、除外することを望めば容認したはずです。
正直、私の中では解決してしまいました。

すごい取材と考察だと思いました。
福島県民なのでこの事件はよく覚えています。

でも、詳細はあまり知りませんでした。
テレビなどに親が出ていたこともありましたが、司会者からの質問をはぐらかしたり、言葉を濁すことがあり、不思議な印象を持っていたことも思い出しました。
従業員が怪しいと思っていましたが、この記事をずっと読んでいて、お母さんの証言と行動に疑問が浮かんできました。
いつも以上に用心していたのに2階に上がる足音を聞いていたのに2階の様子を見に行かなかったのは何故なんだろう……。
2階から外に出れる階段はあるけど一階に住んでいる従業員が2階から外に出る理由ないし、祖父母が帰宅して孫のようす見に行ったとしたら必ず降りてくるのに降りてくる足音は聞いていないし。
従業員の足音だと思ったなら普通なら見に行くと思うけどお母さんはそれをしていない。なぜ???
従業員はいつも2階にいってるから気に止めなかったの?なぜ2階に用事があるの?

子供たちの証言では
優しい声が聞こえたとあります。女性の声だったのでは?母親が寝てる我が子を起こすときに優しい声で呼んだのでは?

この子、須賀川市での目撃情報が昔テレビで放送されました。その情報が本当にこの子なら、なんらかの理由で母親によって須賀川の知人に譲られたのではないか……。もちろん父親は知らないところで。
従業員は知っているか、共犯か。
捜索のニュースで、そこにはいない。と言っていたという情報もありますし。
それなら別人として生きていると思うからいいけども。。

Re: No title

コメントありがとうございます。

> 我が子を失いながら、ときには微笑み、冷静に、事件当夜のことを事細かく話をする母親の姿、異常ではないでしょうか。
 これは事件から6年経っているのである程度冷静に語れたのではないでしょうか。しかも生ではなくVTRですので、部分部分が編集してつなぎ合わせてありますので。確かに微笑んでるような、にやけているような箇所が見受けられますが、我が子を失った母親の気持ちなど本人しかわからないので、軽率なことは言えません。かと言って母親を擁護するつもりは私はありませんし、絶対にシロという証拠もないので、なんとも言えません。

> ましてや第三者の犯行であるなら、危険を冒してまで自宅に侵入する理由が見当たりません。それは従業員Kについても同じ事が言えます。普段は両親と同じ部屋で眠る舞ちゃんを、友人と一緒に寝たこの日に誘拐をすれば誰より怪しまれるのは当然であるわけですから。
 その通りだと思います。ただし、仮にKがなんらか事件に関係しているのであれば、後先のことを考えずに行動したという想像をしてしまいがちです。なぜなら「元暴走族」「シンナー」「無施錠」「夜中の外出」というキーワードのイメージで分が悪いからです。Kが犯人では無いにしろ、これが事件の真相をややこしくさせていることはあると思います。

> 東部台の区画整理についても不可解です。
> 我が子の帰りを待つ親なら、家を解体したくないはず。区画整理に参加しない術はあったわけで、行政や組合も理由が理由ですから、除外することを望めば容認したはずです。
 これはどうなんでしょう。この区画整理については私は詳しくないのですが、当時の自宅を取り壊したのが1992年12月で事件から約1年5ヶ月の頃です。ちなみに、その時の賢一さんは「舞が帰ってきたら新しい家を建ててやり直したい」と語っていました。ちょっとどう解釈していいのか正直わからないのですが、その後、新しい自宅には舞ちゃんの机などがそのまま残してあるみたいですが。。

No title

初めまして、興味深く拝見させて頂きました。

私は舞ちゃんと同年代、苗字が同じ、母の田舎が舞ちゃんのご自宅の船引から駅で数個目の夏井出身と言う境遇の為、舞ちゃんの失踪事件をずっと気にしておりました。
(全くの誤解なのですが知人に一度だけ舞ちゃんの親戚と勘違いされ、母がテレビ局らしき人から取材の連絡を受けた事があるようです)

ずっと気になっている事件です、考察等に感謝いたします。
舞ちゃんが見つかる事、真相が解明される事を願いこれからも更新を待たせて頂きます。
非公開コメント