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考察No.34



3年生になった舞ちゃん


1992年3月に舞ちゃんが通う船引小学校で終業式が行われた。

舞ちゃん行方不明から8ヶ月が経過していたが、それでも学校では舞ちゃんが無事に帰ることを信じて、他の生徒たちと同様に舞ちゃんも4月から3年生に進級することを決定した。また、2年生の学年文集には舞ちゃんが行方不明になる前に書いた日記をそのまま掲載した。

結局3年生の新しいクラスに舞ちゃんが登校することはなく、それから26年という月日が流れてしまっている。
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考察No.33



船引老女偽装殺人事件


舞ちゃん事件からおよそ2年後の1993年6月27日、船引町で81歳の老女が首吊り自殺に偽装して殺害されるという事件が発生している。

有力な物証が得られず、捜査本部は聞き込み捜査に全力を挙げた。

事件から1ヶ月が経った7月28日、捜査本部は重要参考人として同町に住む74歳男性の任意での事情聴取に踏み切った。取り調べは朝から夜まで続けられたが、有力な情報は得られなかったことから取り調べを終了。

ところが自宅に帰宅した男性は翌朝、自宅敷地内の牛小屋で拳銃で頭部を撃ち抜き自殺を遂げてしまった。

男性は前日の事情聴取の合間に家族に電話をかけ、飼育していた乳牛3頭を売り渡すよう指示していたほか、妻に迷惑をかけたことや取り調べに疲れたこと、無実を訴える内容の走り書きも残していた。

そもそも男性が重要参考人とされた理由は以下の通り
▼老女が殺害された日に男性が現場近くにいたこと
▼遺体の首に巻かれていた赤いヒモが男性宅にあったものと酷似していたこと
▼土地に関するトラブルがあったという話があった

男性の親族は「人を殺すような人ではない」「老人にとって事情聴取が長過ぎだった」と話していたという。

ちなみにこの事件が発生した当初、同じ三春署管轄内であった舞ちゃんの捜査は事実上中断されていた。

結局この事件その後なにか展開はあったのだろうか。
自殺した男性は犯人だったのでしょうか。誰かにはめられた可能性は?そもそもカタギであろう男性がなぜ拳銃を所持していたのかという疑問。
警察の調べでは、男性が使用したのはベレッタ社製の短銃で、男性が自衛官時代に渡米したことがあることから、その時に入手したのではないか。ということらしいが。

なんとも後味の悪い事件となってしまったものである。

考察No.32



舞ちゃんを捜す会


舞ちゃんの失踪から半年が過ぎても、有力な手がかりは得られず警察の捜査は難航していた。

そんなことから警察の捜査と並行して、父親の賢一さんの友人などの有志が中心となり、

「舞ちゃんを捜す会」

が結成されたのである。

私の記憶が確かなら賢一さんの中学時代の友人たちで組織されていて、4~5人くらいだったはず。


早期解決を望み結成された「捜す会」は、県内外でビラを配布しながら署名を集めて、情報の提供を呼び掛け続けた。

活動1ヶ月で約3万人分もの署名が集まり、「捜す会」は嘆願署名簿を警察の対策本部へ提出し、捜査の強化を訴えていた。

しかし結局、早期解決には至らなかった。

「捜す会」とは何だったのか。現在はもう解散しているだろう。

そもそも署名活動の効果はいかほどのものなのか。

警察に対する捜査の引き締め強化と、マスコミに取り上げてもらうのが狙いだったとは思うが・・・。

考察No.31



Kを乗せたタクシー


タクシー運転手の証言によってKが乗車していた間のアリバイが証明されたわけですが、

「本当にその証言はあったの?」

「誰かが後から付け足した情報なんじゃないの?」

と前々からなんとなく引っ掛かっていて、モヤモヤしていたのです。

そこで、今回実際にタクシー会社へ行って聞いてきましたよ!

突撃早々、従業員のおっちゃんに
「なんかうまい話でもあるのかい?」
なんて言われてしまい出鼻をくじかれそうになりましたが、

情報収集しているただの一般人ということを告げ、単刀直入に

「舞ちゃん事件についてお尋ねしたいのですが・・・」

と切り出した。

警察でも探偵でも記者でもない。変な一般人ですから、当然のことながら事務員さんがいぶかしげな表情を見せていましたが、
調べてくれて当時のことを知るであろう古株の従業員は三人ほどいるというこで、そのうちの一人の方がご丁寧に対応してくれました。

▼私
「1991年7月24日23時頃に船引駅でKを乗せたというタクシー運転手の証言があるらしいのですが、その運転手は御社の従業員でしょうか?」
◆タクシー会社
「はい、Kと思われる人物を乗せたという話は聞いたことがある」

~ん!?なんか遠回しだなw~

▼私
「その従業員は現役でしょうか?」
◆タクシー会社
「いいえ、もうウチの会社にはいない」
「誰なのか、どこにいるのかも今はもうわからない」

~わかってても教えるはずがないな、そりゃ当然か~

▼私
「当時船引駅周辺にタクシー会社が三社あったかと思いますが、他の会社ということはないでしょうか?」
◆タクシー会社
「いいえ、そのKという人物を乗せたタクシーはウチの会社で間違いない」
「ただ、運転手が誰だったのかはわからない」

~間違いない!って、そこだけはキッバリ答えるんかい~

という超短いやり取りで、予想通りの濁した感じの返答でしたが。まあ実際知っていても教えてくれるわけないですからね。

本当は、Kを乗せた証言の裏付け捜査はなされたのか?みたいな突っ込んだ質問もしたかったのですが、ウザくなるので当たり障りないところで切り上げてきました。


突然訪問してきたこんな怪しさ満点の人物のくだらない質問に、相手してくれただけで感謝ですよホントに。

ということで

「タクシー運転手の証言はあった」

との結論に至りました。

考察No.30



舞ちゃんの七五三

  • 考察No.26で舞ちゃんがショートカットにした理由について触れたが、ふと思いついたので今回もある仮説をたててみた。


その名も

「七五三の反動説」

である。


まず、七五三をお祝いするにあたり年齢の数え方の解釈として、
生まれた年を1歳として計算する「数え年」と、
生まれた翌年の誕生日を1歳とする「満年齢」で行われる2つのパターンがある。

地域ごとの風習や各家庭によって、どちらのパターンで行うかは様々ではあるが、仮に舞ちゃんが満年齢で7歳のお祝いを行ったと仮定すると、1990年11月にお祝いしたと考えられる。

無論、七五三といえば可愛い着物に日本髪スタイル。基本的な日本髪を結うには、肩甲骨が隠れる位の髪の長さが必要と言われている。
となると、七五三を迎えるまでは髪を短くしたくても出来ない事情があったと推測できる。

誰がショートヘアを望んでいたかはわからないが、切りたい思いを我慢していたのではないか。

七五三も無事終わり、寒い季節が過ぎ、そして翌年の夏休みのタイミングで髪をバッサリと切ってショートカットにしたのではないだろうか。

切った理由については、
考察No.26の見解で述べた
「夏休みになったから」
に繋がる。

考察No.29



賢一さんの執念


■事件後の賢一さんの行動

Kが犯人であると確信

会社をたたむ

妻子と別居

車で寝泊りしながら、Kを四六時中マーク

Kの実家周辺の電柱に情報提供のビラを貼りまくる。
Kの同級生や知り合い、元カノなどを訪ねる。
初めはKに見つからないように監視。
やがてプレッシャーかけるために堂々と監視。
Kに直接問い詰める。
犯人はKじゃないかもしれないと不安になる。
しかしKしか考えられないと思い直す。

結局手掛かりは得られず監視を断念。

妻子を呼び戻す。

賢一さんは、いずれKが逮捕されると信じていたのだろう。ところが警察の捜査がなかなか進展せず、時間だけが過ぎていくことに焦りと苛立ち、もどかしさのあまりいてもたってもいられなくなったのは、想像に難しくない。

もし自分が賢一さんの立場だったなら、同じような行動に出るかもしれない。確かにKが疑わしいのは事実だし、こうなると誰かのせいにしないとやるせない。自分の場合、逆にショックが大きすぎて寝込んで立ち直れない可能性もある。メンタルがショボいので。

突然愛娘を奪われた心情は計り知れない。とても言葉では言い表せない怒り苦しみ悲しみ絶望感に襲われることは間違いない。しかし、賢一さん一連の行為はある意味ストーカーのようで下手したら逆に訴えられてしまうようなレベル。
その時のKはどんな気持ちでいたのか?Kの家族の反応はどうだったのか?おびただしいビラを目にした近隣住民はどう感じたのか?

Kに挑む賢一さんのつきまといは、一刻も早く愛娘を見つけ出したいという父親の執念の表れだろう。日々の全てを書き留めていた手帳は、12冊にも及んだというから凄まじい。不謹慎だが正直その手帳を拝見したいと率直に思った。どのようなことが書き記されていたのだろうか。

Kを追うのをやめた後に違う角度、違う方法で捜索することは考えなかったのか。どうしていいのかわからなくなったのか。心が折れてしまったのだろうか。そもそもK以外に思い当たる人物はいなかったのか。

生死もわからない、居場所もわからなければ、犯人さえもわからない。とても複雑な状況である。そして、賢一さんは舞ちゃんを失っただけでなく、会社も失ってしまった。しまいには家族も失いかけた。家族だけは失うわけにはいかなかったのだろう。

P.S.今現在、賢一さんの意志を受け継ぐ、とある人物がいると、わたしは考えている。

考察No.28



久美ちゃん事件の詳細

  • 前回に続き、事件についての内容です。


事件発生:1981年4月29日(水)祝日(昭和天皇誕生日)
被害者:小山田小学校4年の寺島久美ちゃん(当時9歳)



【家族】
久美ちゃんの母親(42)は東京に住んでいた5年前に夫と別れ、4年前に郷里の郡山市に戻り、生活保護を受けながら市営住宅に親子二人で住んでいた。
2年前から内縁の夫(40)が一緒に生活し始め、久美ちゃんがいなくなる3日前から内縁の夫と母親の二人は土木関係の仕事に出かけていた。
久美ちゃんの実父は離婚後東京で暮らしていた。久美ちゃんが行方不明になった翌日に酔って自転車に乗っていて上野警察署員に職務質問を受けたが、その後の足取りはつかめなかった。

【犯人像】
遺体には乱暴された跡がないことや食後1~2時間で殺されたことなどから変質者の犯行という線は薄く、顔見知りの犯行の疑いが強い。
顔見知り線を裏付けるものとして、遺体解剖から激しく抵抗した跡が見られなかったこと、胃の内容物は米飯、キュウリ、トマトだった。
事件当日の久美ちゃんの朝食はハンバーグ、白菜とたまごの味噌汁、たくあん、かぶのため、遺体の内容物は昼食か夕食にとったものと考えられる。

【謎】
母親の話では、久美ちゃんが家を出た時の服装は青の長袖の体操着に同色の両脇に白いラインが入っている半ズボン姿だった。目撃者も同じような証言だった。
ところが、久美ちゃんの遺体の着衣は母親のおさがりの紺地に赤と緑のチェックのスカートだった。
久美ちゃんが遊んでいるうちスカートに着替えたことは十分に考えられるが半ズボンは自宅から見つかっておらず、どこに消えたのかわかっていない。
久美ちゃんが所持していたアニメのビニール製のがま口財布などの遺留品が消えていた。
母親は事件当日朝、昼食のパン代として200円を渡し、久美ちゃんはこのお金を財布に入れていた。
このほか貯金箱から400円が引き出されていた。

【死因】
久美ちゃんの遺体は腐敗が激しくなかなか死因を特定出来なかった。
右臀部、両膝に軽い皮下出血が見受けられるが死因に至らず。
骨折、内臓の損傷はなし。
外陰部の損傷はなし。
一部白骨化し、蚕食もあり、土中にあったことから明確ではないが、死後20日前後とみられている。
病変は見受けられない。
捜査本部はシンナー、ボンド、などの薬物で殺害された疑いもあるとみて、シンナー常習者の洗い出しも行った。
実際に久美ちゃんの自宅周辺にはシンナーを吸う不良グループが日常的に出入りしていたことが、近所の人たちの話で確認されていた。
最終的に警察は窒息が死因であるとほぼ断定した。

【動機】
遺体に乱暴された跡がないことなどから変質者が犯人という説は薄れたが、とするとなぜ何の罪もない女の子が殺害されたかという疑問が出てくる。
痴情、怨恨、金銭関係などで久美ちゃんが犠牲になった可能性は極めて少なく、殺害された理由が見当たらない。

【現場】
死体発見現場は久美ちゃんの自宅から12キロで、短時間で死体を隠す場所としてはもってこいの場所だった。
付近には人家が全くなく、人目につきにくい。その点、土地勘のある者の犯行が浮かんでくる。
しかも、死体発見現場は県道から林道を約300メートル入った土砂採取場の近くで、関係者以外の人が行くことはまずない。
現場検証で死体の周辺にはスコップで土を掘った跡が見つかり、犯人はスコップを用意して死体に土をかけたものと断定。

【青い車】
捜査本部が死体発見現場周辺の聞き込み捜査で、久美ちゃん不明当日午後3時頃に山砂の採取状況を見ようと現場付近まで来た工事業者の男性が不審な青い車を目撃していたことがわかった。
男性は県道沿いから山砂採取場を見たところ、人影はなかったが明るい青い乗用車が止まっていた。当時は「採取業者の車だろう」と気にもかけなかったという。

【難航】
警察は懸命な捜査をしたが犯人と結びつく有力な手掛かりは得られなかった。
警察は改めて母親や内縁の夫、それに叔父夫婦から詳しい事情を聴き、当時の服装や所持品などに記憶違いがなかったかを聴く一方、久美ちゃんの日頃の生活態度、失踪当日のもよう、交友関係などを再チェックするために事情聴取を行った。
また、捜査本部の聞き込みで噂のまた聞きのような怪情報が多かった。舞い込んで来る情報の裏付け捜査を進めていくと、不確かな話が目立った。

【時効】
事件から5年後の1986年に捜査本部が解散。その後は専従体制で地道な捜査が行われていた。
しかし、情報が少なく難航。犯罪が広域化、多様化していたことも影響したのか、1996年4月29日午前0時で15年の時効が成立した。

考察No.27



舞ちゃん失踪事件のおよそ10年前、福島県郡山市にて女児が何者かに連れ去られ殺害遺棄される事件が発生している

  • 被害者は、小山田小学校4年の寺島久美ちゃん(当時9歳)。年齢も舞ちゃんとさほど変わらない。この事件に舞ちゃん失踪事件を解くカギがないとも言えない。何か参考になればと思い、紹介することにします。


1981年4月29日(水):祝日(昭和天皇誕生日)



4/29(水)
▼午前8時頃、母親が仕事へ。昼食代として200円を置いていく。久美ちゃんは笑顔で母親を見送る。
▼午前9時~10時頃、自宅東側の公園近くでバドミントンラケットを手にした久美ちゃんを近くの主婦が目撃。
▼午前9時半頃、久美ちゃんと同学年の男の子と6年の女の子がヨークベニマル希望ヶ丘店駐車場で久美ちゃんを目撃。男の子は灰色の車に乗った30歳位の男の人と話しているところを、女の子は一人で駐車場に座っている姿を目撃。
▼午後4時頃、自宅東側の公園で一人で砂遊びしている姿を同学年の男の子二人が目撃。
▼午後7時頃、自宅近くの路上を歩いていたという情報があったが確実性に乏しい。
▼午後8時15分、郡山署に母親から捜索願。家族や近所の住人、小山田小学校関係者で捜索。当初簡単な家出とみて楽観視する見方もあったが情報は全くなし。
4/30(木)
▼前日に続き捜索するが発見できず午後には公開捜査に踏み切る。小山田小学校に捜索対策本部設置。
5/1(金)
▼捜索範囲を駅前や商店街にも広げるが手掛かりなし。警察犬も使い捜索。郡山署は付近一帯の変質者などの捜査も開始。
5/9(土)
▼消息不明から10日目。依然として29日以降の目撃者なし。関係者に絶望の色濃くなる。
5/10(日)
▼午前8時から小山田小の先生、父母、地元消防団、防犯協会員ら1000人で大捜索。学区内の池や川、空き家から逢瀬、富田、片平地区まで捜すが手掛かり全くなし。郡山署も手の打ちようがない状況。
5/11(月)
▼久美ちゃん満10歳の誕生日。母親はケーキを用意し待ちわびる。心労重なり持病の神経症再発、病院通いの毎日。捜索は依然続く。
5/19(火)
▼午後3時頃、自宅から約10キロ離れた同市中田町の山林で、山菜採りに来た会社員が「頭の骨らしいものを発見した」と警察に通報。
▼午後3時40分頃、警察が現場に急行。うつぶせにして埋められていた遺体を発見。
▼午後4時10分、郡山署から報道関係者に第1報発表。
▼午後8時2分、死体を久美ちゃんと断定。郡山署は殺人・死体遺棄事件として捜査本部を設置。
5/23(土)
▼久美ちゃんの告別式が行われる。焼香台に同級生が悲しみと犯人への怒りを綴った作文集と千羽鶴が飾られる。
・・・
・・・
▼しかし、殺害場所や日時が特定できず、捜査は難航。有力な手掛かりが得られないまま、1986年5月には捜査本部が解散。
▼その後も郡山市署は延べ約2万7000人の捜査員を投入し、継続捜査を続けたが、犯人逮捕には至らず1996年4月29日午前零時で時効成立。


次回は久美ちゃんの家族、犯人像、事件の詳細について取り上げていきますComing Soon